2008年9月2日火曜日

福田総理辞職

NHKの番組を見ていると、8時半にテロップで「本日、9時半から、福田総理が緊急記者会見」と出ました。家族で「福田さんは、辞職だね」と話していたらその通りの記者会見である。
約1年前、安部総理が辞任した。記者会見で福田総理は、「阿部総理とは違う」と言ったが殆んど同じである。
1ヶ月前に、大幅な内閣改造を行い、先月末には経済総合対策を出しておいて「辞任」とは、あまりにもやりっぱなしの無責任ではないかと考えられるし、大幅な内閣改造で、太田農水大臣の「事務所費問題」が出て、また、緊急経済対策に公明党の要求する「定額減税」が無理やり福田総理の意思とは関係なく入ったこと。
また、今月の初旬に国会開会を考えていた福田総理だが、公明党の圧力で12日に開会が決まったが、先週末には、福田総理の所信表明は29日に先延ばしにされ、事実上、新テロ対策特別措置法案(インド洋での海上自衛隊の給油活動)を通過させることは不可能となった。これは、衆議院を過半数で通過しても参議院で採決されず、衆議院に差し戻されたものを衆議院の2/3以上出で通過させることに公明党から拒否され、事実上、新テロ対策特別措置法案は再可決するめどが立たず、国際公約と位置づけるアメリカとの約束も果たせない状況に追い込まれていた。まさに「八方塞がり状況」であったと云える。
「参議院のねじれ」を強調していたが、このような与野党の「ねじれ」は、アメリカ、ヨーロッパの国々では、日常茶飯事であるが毎年毎年トップが変わる国は日本だけである。そういう意味では戦後ほとんどの期間、自民党の絶対多数で国会が動いてきたため、ようは、「数の力」だけで運営してきた結果、自民党にこのような「ねじれ国会運営」のノウハウが蓄積されていなかったし、それをわかっていた福田総理には指導力がなかったといえる。
また、国民の目からは、福田総理は「何をしたいのか?」が見えない総理であった。
阿部総理、福田総理も同様に「野党の協力を得られなかった」「小沢さんと話が出来なかった」と言っているが、政策に対する考え方、その手法が違うから与党・野党となるのである。野党とはそのようなもので、協力しない野党が悪いと言うのは、全くもって福田総理は政治向きの人ではないと考えられる。

自民党としては、新たな総理・総裁を出し、局面打開で乗り切ろうとの考えだろうが、「国のあり方」など根本問題が今日的閉塞感を生んでいることに気が付いていないのではないかと考えられる。経済政策においても自民党は真っ二つに分かれており、路線闘争が起こるであろう。
今回の福田総理の辞任に大きな影響を与えたのが「公明党」である。
政府が緊急経済対策を発表後、公明党の太田代表は、「自公連立を、公明党は政権の支援からリードする立場となる。」と公言していた。公明党のごり押しで、プライドの高い福田総理はやる気が萎えていったのであろう。
洞爺湖サミットで政権浮揚を考えていたが、支持率は上がらずじまい。自民党の中にも福田総理での総選挙は無理との意見が出ていたという。

無責任政治の極みである。

近々、衆議院選挙が行なわれる。国民が、政治家に対する考え方・見方を厳しくすること、国民のために働く政治家かどうかを見極める力を養うことが必要である。